|
アンサーズ・イン・ジェネシス(答えは創世記に)の代表的小冊子「神は本当にいるのでしょうか?」と、「人種はなぜあるのでしょうか?」が発行されました。

アンサーズ・イン・ジェネシスの創設者であり代表であり、また、全米のホームスクール団体などからも引っ張りだこの講演者、ケン・ハム師による代表的小冊子「神は本当にいるのでしょうか?」「人種はなぜあるのでしょうか?」が発行されました。これらの小冊子は、B6版約30ページと読みやすく、そして聖書を、私たちの考えの基準として、それぞれのテーマに関して分かりやすく書かれています。
実際の内容をPDFフォーマットでごらんいただけます。それぞれの小冊子の絵をクリックしてください。
|
砂岩と弁証学
“荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。”(イザヤ40章3節)
聖書のなかには “砂漠”という言葉が繰り返し出てきます。ほとんどの人はこの言葉からすぐに砂を想像します。ヘブライ人は砂漠の砂についての知識は豊かであり、だからこそ彼らにとって“砂漠”は説得力のある象徴なのでしょう。
比喩的に言いますと、現代人のほとんどは聖書の神から離れており、(精神的に)いわゆる砂漠のような状態になっています。もし創造主の御言葉を命の水にたとえて、砂漠の砂の上に水が落ちるとしたらどうなるのでしょうか?瞬く間に砂の中に吸い込まれ消えてしまうでしょう。それはなぜでしょうか?
小さい個々の粒が一緒に集まっているにもかかわらず、砂を構成するそれぞれの粒の間にまだ隙間があるからです。一番細かい砂の粒をすくい上げてみても、その粒子間には少なくとも40パーセント程の隙間があります。この隙間を除去する為には、この粒をまとめてひとつの硬い砂岩にする事だけが唯一の方法となります。
その意味ではクリスチャンは聖霊の恵みによって固められた砂岩にたとえることができます。でもその砂岩にもまだ水が染みこむことはあるのでしょうか?染みこむことはあります。顕微鏡で見てみますと、固まった砂岩にも弱い部分があり、その部分には粒がないため水はその隙間に染みこむのです。
これはクリスチャンにとっても同様ではないでしょうか。どんなに霊的な結合で私たちを結び合わせようとしても、もし弱い部分があったら、命の水(創造主の御言葉)がたとえ降り注がれても隙間を通して流れ出ていってしまいます。創造主の御言葉は完全なものですが、私たちが誤った解釈をしてしまうことにより創造主やお互いとの関係に弱い部分作り出すこととなります。
砂岩の場合、ほとんどのヒビは、異物が粒同志の結合を妨害していたり、粒そのものが欠けてしまっているために生じます。
同じように多くのクリスチャンも創造主の御言葉に異物(人間の堕落した考え)を取り入れて勝手な解釈によってヒビを作り出し、それゆえに霊的な結合の結晶化を妨げています。その結果、規則正しく礼拝に出席するある人たちが創造主の命の水(彼らが聞く御言葉)に仮にひたったとしても、この隙間のために水は漏れてしまうのです。
世俗的な考えがクリスチャンの間にしみこんでいった最たる理由のひとつは、自然主義的な起源の考え方です。創造主の創造の能力を否定する科学者たちは、創造主の影響なしに、世界を自然の進化の結果だと説いています。創世記11章までは福音の礎ですが、彼らの世俗的な理論は彼らの大砲となってこれらの11章に向けられているとしても驚くことではありません。
私たちアンサーズ・イン・ジェネシスの働きは、世の中を破壊する世俗的な武器からこの世を守る最前列に立っており、クリスチャンが的確な答えで攻撃を食い止める装備をしています。
これら真実の答えは信じる人たちの信仰心をさらに強くし、“霊的な結合”は命の水をを蓄えるだけでなくさらに溢れ出て、この砂漠のような現代にあって創造主への道をまっすぐにし、さらに強化していきます。
エミール・シルベストゥル博士
|